今こそ原発ゼロを打ち出そう! ~原発ゼロは未来への責任~

※2016年12月発表

 

原発政策の違い

民進党 原発ゼロ社会の実現(2030年代)
安倍政権 原発を使い続ける(電力の2割は原発を使い続ける)

 

1.原発をめぐる現状

 

 民主党政権から安倍政権になって、「原発ゼロ社会」から「原発を使い続ける社会」への政策転換が行われた。この流れを止め、原発ゼロ社会を実現するために、神奈川県政から取り組みを進めるべきと考えている。

 

 まず、はじめに議論の前提となる「民進党と安倍政権の原発政策の違い」について明確にしておきたいと思う。

 かつての民主党政権もその流れを組む民進党も「2030年代原発稼働ゼロ」、すなわち「原発ゼロ社会の実現」が基本政策であり、その方針は「民進党政策集2016」でも明記している。一方で安倍政権は、「原発依存度を可能な限り低減する」としているだけである。

 安倍政権は将来においても原発ゼロ社会を目指すものでは決してなく、『原発についてはあくまでも依存度を減らすだけであり、残し使い続ける方針』なのだ。具体的には、2030年に電力の約20%を原発で賄うことを目標として、原発を使い続けることを決めているという事になる。

 つまり、私たちのように原発ゼロ社会を創るのか?安倍政権のように原発を使い続ける社会を創るのか?という点が決定的に違うのだ。

 

 振り返れば、安倍政権は2014年4月に決定した「エネルギー基本計画」で、福島第一原発事故後に民主党政権が決めた「2030年代原発ゼロ」という政策を大きく転換した。エネルギー基本計画では、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けて、(依存度を下げるだけで)着実に使い続けることにしてしまった。

 また、この計画に沿って決定された「長期エネルギー需給見通し」では、2030年の総発電量に占める原発の比率を「20~22%程度」と決めている。ここだけ聞けば原発依存度が大きく減ったように聞こえるかもしれない。しかし、福島原発事故前の2010年の日本における原発比率は29%。要は事故以前とほとんど変わらない、事故以前の状態にほぼ戻すよと公言しているのが現実だ。

 仮に安倍政権の計画通り、電力の20%以上を原発で賄うとするなら、少なくとも原発25基が必要である(福島県内を除く原発40基のうち、2/3が必要)。そのため、各原発で再稼働のための審査が行われ、合格した原発から次々に再稼働を進めて、引き続き使い続けようとしている。国内に多数の原発を残し、未来に渡って使い続ける事を本当に容認していいのか?私は極めて疑問を感じている。

 さらに、民主党政権時代に自民党も賛成して決めたはずの「原発の運転期間は原則40年まで」としたルールも骨抜きにし、老朽化した原発に20年の延長運転を認めている。

 このように安倍政権は、将来も原発を使い続けられるよう、着々と外濠を埋めているのだ。このことについては、県政からもしっかり警鐘を鳴らす必要があると考えている。

 

再稼働済 川内原発1・2号機、伊方原発3号機、高浜原発3・4号機
(大津地裁の仮処分命令で停止中)
再稼働許可済 高浜原発1・2号機(20年運転延長)
再稼働審査中 泊原発1・2・3号機、東通原発1号機、女川原発2号機、柏崎刈羽原発6・7号機、浜岡原発3・4号機、志賀原発2号機、美浜原発3号機(20年運転延長)、大飯原発3・4号機、島根原発2号機、玄海原発3・4号機、東海第二原発、敦賀原発2号機、大間原発

 

2.原発ゼロの実現は未来に対する責任~原発の代替は当面は火力発電である~

 

 こうした状況を考えると、今がまさに、原発をゼロにするか、使い続けるかが問われている大きな曲がり角なのだ。このまま安倍政権の原発政策を許せば、原発再稼働が当たり前となり、なし崩し的に原発を未来永劫使い続けることになりかねない。

 原発がなければ日本は成り立たないという意見もあるが、事実として、福島原発事故の後に原発が実質ゼロでもやってこられた。震災直後の計画停電を除いては、電力不足になることはなかったのだ。約2年間(平成25年9月~平成27年8月)は、国内すべての原発が稼働していなかったが、その時期でも、我が国の電力供給は正常に保たれた。原発がなければ電力が足りなくなるというのは、明らかにウソだったのだ。原発がなくとも、火力発電があれば、電気は足りる。(もし、足りないなら火力発電をさらに増強すればいい)

 

 原発が使えない場合に、火力発電の燃料代を懸念する声もあった。しかし現在では、シェール革命などによって、原油価格も下がり安定している。また、太陽光発電などの再生可能エネルギーも、当初の予想を超えて普及しはじめている。原発の必要性は、今後さらに低下していくことは明らかであり、実際に原発推進派だった小泉純一郎元総理大臣も反対派に転じている。小泉元総理は、『原発事故を目の当たりにしてから勉強して、経済産業省や電力会社が説明していた「原発は安全だ、原発は安い、原発はクリーンだ」というのが全てウソだとわかったと』語っている。

 私もその意見に賛成である。原発は絶対安全ではない(実際に事故を起こした)、原発は安くない(実際に事故処理に膨大な費用がかかっている)、原発はクリーンではない(実際に広大な土地や海が汚染された)。小泉元総理だけでなく、今では国民の多くが違和感を持っているのではないだろうか。これらの前提が崩れたのだから、原発を推進する理由などもはやない、一日でも早く原発ゼロ社会を実現する事が求められているのだ。

 実際に原発には、以下に挙げるような大きなリスクがある。以下、私が考える具体的な問題点について、改めて指摘したい。日本の将来に責任を持つ世代として、このように大きなリスクを許容することはできない。原発ゼロ社会を実現することは、未来への責任なのだ。

 

3.原発の抱える具体的な問題点

 

①事故の際の責任の所在のあいまいさ(政権は規制委の審査を通れば大丈夫だと言い、規制委は絶対安全ではないと言う)

 まず指摘したいのは、事故の際の責任の所在のあいまいさである。安倍政権が定めたエネルギー基本計画では、原発の安全性については、「原子力規制委員会の専門的な判断に委ね」て、「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた場合には、その判断を尊重し」て再稼働を進めるとしている。つまり、専門家である原子力規制委員会がよいと言ったなら、再稼働しても大丈夫という理屈である。要は責任を規制委員会に押し付けているのだ。

 一方で、原子力規制委員会のホームページでは、規制基準を満たしても「絶対的な安全性が確保できるわけではありません」と明言している。要は責任を負わないと逃げているのだ。

 つまり、規制委員会がよいと言ったからよいのだという政府と、安全とは言っていないという規制委員会の間で、責任の所在が曖昧になっているのだ。

 では、このような誰も責任を取らない無責任体制のまま原発を使い続け、事故が起こった場合、果たして責任は誰にあるとなり、誰が責任をとるのだろうか?

 そう、誰も責任をとらないのである。

 実際に福島原発事故でも、結局は誰の責任であるのか、いまだに曖昧なままである。この無責任体質が改善しないままに原発を使い続けるなら、またいつか同じ悲劇を繰り返すことになりかねない。

 

②テロのリスク(ベルギーのテロでは実際に原発が狙われていた)

 

 二点目は、テロのリスクである。日本の原発は、他の先進国と比べてテロ対策が脆弱であると指摘されている。日本の原発は、通常は各県警の機動隊が警備しているが、諸外国に比べて装備や人員の面で劣っており、特殊部隊や武装勢力による本格的な攻撃に対応できる態勢にはなっていない。原発の建屋は丈夫なので飛行機が落ちても安全だという「神話」もあるが、福島原発事故を経験した後では、とてもそんな話を信じる気にはなれないだろう。

 原発へのテロは決して現実離れした話ではない。今年3月にイスラム国(IS)がベルギーで起こした連続爆破テロでは、当初は原発への襲撃が計画されていたことが明らかになっている。アメリカの国力低下に伴って、国際情勢は不安定化している。日本だけが絶対にテロの標的にならないということはあり得ない。日本の原発がいつテロリストに狙われてもおかしくない状況だと考えなければならないだろう。

 

③使用済み核燃料(10万年間、絶対安全に保存できる保証はない)

 

 三点目は、これは以前のレポートの繰り返しになるが、使用済み核燃料の行き場がない事である。原発が「トイレのないマンション」と呼ばれるのはこのためである。原発の使用済み核燃料は、再処理した後に地下深くに埋めて、十万年閉じ込めておくことになっている。いわゆる『地層処分』である。しかし、地震・火山大国の日本で、十万年後まで安定している地層などない。仮にあったとしても、そもそも現代の科学技術では、場所の特定は不可能だ。また、10万年という気が遠くなるような長い期間、一体誰が(どんな組織が)どのような管理をして安全を確保するのかいまだに不明である。

 もちろん、『使用済み核燃料の処分場所が国内には存在しない。だから、外国に受け入れをお願いする』というやり方を唱える方々もいるのは承知をしている。しかし、外交関係は常に変化し続ける。未来永劫外国が受け入れてくれる保証はなく、国内で処分する場所がないと必ずいつか行き詰ると考えるのが自然である。

 

④膨大なコスト(原発が安いというのは電力会社から見た発電コストに過ぎない)

 

 四点目は、膨大なコストである。原発は安いエネルギー源だという意見がある。確かに、直接の発電費用だけを見れば、火力など他の発電方法より安く見える。しかし原発には、発電のコスト以外に、立地対策(原発立地地域への補助金など)、核燃料サイクル(使用済み核燃料の再処理工場や高速増殖炉など)、最終処分場の確保、古い原発の廃炉など、隠れたコストがかかっている。

 例えば、高速増殖原型炉「もんじゅ」は、これまで建設費と維持費に1兆円以上を費やしているが、1994年の運転開始直後からトラブル続きで、22年間でわずか200日強しか運転されたことがない。しかも、停止していても1日5,000万円という誰もが驚愕する維持費がかかっているのである。

 これらのコストは、税金や電気料金などに含まれており、国民が幅広く負担している。これらに加えて、もし事故が起きた場合は、事故処理、避難や移住、補償、除染など、さらに巨額のコストがかかる。

 はっきり言おう。「原発が安い」というのは、あくまでも電力会社から見た発電コストの話に過ぎない。その裏でかかっている膨大なコストは国民に転嫁できるのだから、電力会社から見たら安いのは当たり前である。

 

⑤大きすぎる社会的リスク(人々の暮らしを永遠に奪うリスクはお金に代えられない)

 

 五点目は、大きすぎる社会的リスクである。

 私は、世の中にはどんなにお金があっても、決して買う事ができない崇高で素晴らしいものがあるという人生観を持つ。苦楽を飲み込みながら維持・継承してきた先祖代々の土地、いい時も悪い時も見守ってくれた生まれ育った街並みや自然、慣れ親しんだ地域コミュニティ、幸せな結婚と新しい生命の誕生と成長、家族との温かく楽しく暮らした幸せな日々と思い出、これらは決してお金では買えない。

 原発は、一度大きな事故を起こせば、その周囲は人が住めない土地となり全てを奪い去る。多くの人から、幸せな暮らしや思い出等お金で買えない価値あるものを永遠に失わせる悲劇を起こすのだ。

 私はこのリスクを放置する事はできない。原発は決して利便性や効率や経済の論理で考えるべきでないのだ。

 

スリーマイル島原発事故

(1979年)

避難者:10万人以上(一時避難)

汚染地域:なし

チェルノブイリ原発事故

(1986年)

避難者:34万人

汚染地域:15万㎡(本州の約60%)

福島第一原発事故

(2011年)

避難者:11万人(避難指示区域等)

汚染地域:6800㎢

 

さらに言えば、日本史上最大級の事故である福島原発事故の原因は、津波による全電源の喪失、地震の揺れの影響などが指摘されているが、肝心な部分は曖昧なままである。さらに、誰も原子炉や核燃料が現在どのような状態になっているのか正確なところはわからない。すなわち、事故の全容が究明されたとは到底いえない状態であり、事故の原因もいまだわからないのだ。

 事故原因がわからず、なぜその対策ができるのか?なぜ他の原発の安全対策が万全だといえるのか?安全対策が万全だと判断することは不可能だと考えるのが妥当ではないか。

 

3.過渡期的な措置

 

 このように、今の日本で原発を動かすことには問題が多い。よって、原発の再稼働はあり得ず即ゼロとすべきだ。

 しかし、政策を進めるにあたって国民的な合意形成が必要であるという観点から、もう少し柔軟な対応をすべきと仮にするなら、百歩譲って仮に再稼働すべきとした場合でも、あくまでも過渡期的な措置であることを明確にすべきだろう。例えば、①原発を再稼働できる期限を決める(10年間限定など)、②地元の同意を義務付ける(近隣自治体:40キロ圏内の県と市町村2/3の同意など)、③現在よりも広域(40キロ圏内)の避難計画を作成し、専門家のチェックと住民意見の尊重を義務付ける、といった条件を付けるべきであると考える。

 

 ①については、再稼働に対する国民の納得を得るために必要な条件である。安倍政権のように、いつまでも原発を使い続けることを前提に再稼働するのと、あくまでも代替手段が確保できるまで一時的に再稼働するとでは、全く意味が異なる。

 

 ②については、地域住民が納得した上でしか再稼働しないことを明らかにするために必要な条件である。福島第一原発事故では、原発から40キロ離れた飯舘村まで避難対象となった。したがって、最低でも40キロ圏内の自治体には同意を求めるべきであろう。もし全自治体の同意が現実的ではないという場合にも、2/3など多数の自治体が賛成していることを必要とすべきである。実際に2/3という条件だとすると、限りなく再稼働は難しくなる。

 原発の再稼働にはそもそも地元の同意は必要ない、という意見もあるかもしれないが、政府は福島第二原発の再稼働には地元の同意を条件とする立法を検討していると報道されている。福島第二だけが同意が必要で、他は必要ないというのは、理屈に合わないだろう。

 

 ③については、地元住民の安全を守るために必要な条件である。現在は30キロ圏内の自治体に避難計画策定が義務付けられているが、②で述べたように、福島では40キロ圏内までが避難対象となった。したがって、避難計画の義務付け対象は30キロ圏内では足りず、40キロ圏内に拡大すべきである。

 また、現在義務付けられている避難計画は、自治体で作ったものを誰もチェックしない仕組みであるため、実効性に欠けるという批判もある。したがって、自治体が避難計画を作成するプロセスにおいて、専門家によるチェックと住民意見の尊重を義務付け、それを満たした場合にのみ再稼働を認める仕組みにすべきである。

 

4.神奈川県議会としての対応

 

 以上述べてきたことを実現するため、原発ゼロという方向性を明確にすることによって、未来への大きな責任を果たす必要がある。神奈川県議会においては、上記のような提言を盛り込んだ意見書の国への提出、県議会としての「原発ゼロ」を目指す決議などを通じて、こうした責任を果たすべきであると考える。引き続き県議団内で議論を進め実現を図っていきたいと思う。